■ One’s Way Part1(その5-5)
2017-10-22


今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年11月号に掲載された作品です。
***********************************
■ 立山アルペンヒルクライム2013 -5


禺画像]
※ ラムサール条約湿地に認定された弥陀ヶ原高原の「餓鬼の田んぼ」

昨年、弥陀ヶ原はラムサール条約湿地に認定された。その弥陀ヶ原高原の通称「餓鬼の田んぼ」と呼ばれる湿地帯を僕は走った。突然、雪渓を歩いている登山パーティの声援を受けた。この時僕は初めて当たり前のことに気付いた。それは沿道に観客がほとんど存在しないことだ。

当然だった。そこには民家もない。マイカーは禁止で有料バスの始発前のこと。松田優作主演の映画『野獣死すべし』のエンディングシーンで、眠りから醒めると、コンサート会場には自分以外誰もいなかったという場面が、ふと思い浮かんだ。大自然の真っ只中にいるようで、実は強引に造られた意図的な空間に閉じ込められているような気持ちになった。そして誰かに監視されているような、そこはかとない不安を覚えた。

単調に山道をバイクで上っているようで、否、単調だからこそ、頭の中には多種多様な想念が浮かんでは消え、流れ続けていた。すごくドラマティックでスリリングな時間だった。それは心の無意識層が如何に深遠であるかを証明しているようだ。単調かつリズミカルな身体運動は、そんな混沌とした無限の深層をコツコツ掘り起こす作業なのかもしれない。

そして硫黄ガスの匂いが標高を上げるごとにきつくなっていたからであろうか、その無意識という深層が、大地の下にうごめいている巨大なマグマ流動まで繋がっているかのようだった。何処にも逃げることはできない宿命みたいなものを感じた。そう、人間は大地と繋がっており、いつかは大地に帰るべき存在なのだ。

弥陀ヶ原湿地帯、通称「餓鬼の田んぼ」では、決して結実しない田んぼにて、飢えた餓鬼たちは今日も苗を植えているのだろうか。無意味で虚しい毎日を送らざるを得ない餓鬼たち。彼らもまた逃げ場を失った不条理な存在だ。だが、あちらとこちら、どちらの世界が現実でどちらが仮想なのか、誰が断言できようか。正に万事、胡蝶の夢である。

ゴール地点の室堂バスターミナルが見えてきた。僕は自然とペースを落としていた。ゴールが近くなってラストスパートではなく、逆にペースダウンしたレースは初めてだった。それはこの「天空ロード」上に一秒でも長く居たいという気持ちの現れだった。

今回の僕の目的はゴールの室堂に辿り着くことではない。「天空ロード」という道を走ることだったのだ。点ではなく線が目的だった。線を走る限り、線を生きる限り、虚しさに苛まれることはない。分割無限の瞬間全てに意味を感じられるからだ。しかし、哀しいかな、時間の不可逆性。後戻りできない歴史同様、必ずゴールはやって来る。

面白い顔をした御当地ユルキャラ着ぐるみが不気味に待ち構えているゴールラインを通過した。ゴール直後、大会ボランティアの方に月桂樹の冠をかけてもらった。

「えっ?かけてもらった?何処に??」


続きを読む

[シリーズ/Series]
[自転車/Bike]

コメント(全0件)


記事を書く
powered by ASAHIネット