■ STONE FREE-その1:昭和浪漫-
2017-09-23


今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年10月号に掲載された作品です。

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◆昭和浪漫

禺画像]
かつての修験の場、石動山へ入る


1980年10月22日水曜日。この日、富山県の地元紙で県内最高の発行部数を誇る北日本新聞朝刊には、巨人軍の長嶋茂雄監督が辞任した記事が大きく取り上げられていた。でも当時中学三年生だった僕は、長嶋さんのトップ記事ではなく、富山県地方版のページに載っていた、ある記事を何度も読み耽っていた。

人それぞれ人生の転機という経験があるだろう。長嶋さんとの出会いによってその後の人生が変わったという人も大勢いるはずだ。僕の場合、地方新聞の地方版に書かれた一つの記事によって人生の転機を迎えた。

「やったぜ「全国一周」自転車で三ヶ月の旅」』

見出しの下の写真には、マラソンの宗茂選手に似たお兄さんが、荷物を積んだ自転車にまたがっていた。宗猛選手でもいいんだけど、何故か僕には宗茂選手に思えた。茂と猛、決定的な違いを述べよと言われても答えられないんだけど。・・若かりし頃の伊勢正三の様でもあったが、その写真のお兄さんはTシャツにランニングパンツを身に着け、ランニングシューズを履いていたので、やっぱりマラソンの宗茂選手だ。

そんなことはどうでもいい。でもどうでもいいことを書いているようだが、それだけ食い入るように記事を読み耽っていたことを伝えたいのだ。

自転車で日本一周する為にかかった「総費用は25万円」。三ヶ月の旅で25万円。25万円で日本隅々。そうか、自転車は安く旅ができるのか。低予算で、質の高い人生経験。ともあれ何の検証もなく勝手に「自転車はコストパフォーマンスに優れている」という意識が僕の中にすっかり出来上がった。

記事には「北海道で橋が流失。迂回路を50キロも走って体力を消耗した。」とも書いてあった。その頃よく耳にした山口百恵の歌う「いい日旅立ち」が突然僕の頭の中で流れ出した。当時の僕にとって未知の世界だった北海道は、「いい日旅立ち」が流れる世界だったのだ。この日の約1週間前に山口百恵が引退した記憶が後押ししたのかもしれない。そういえば、僕が始めて買ったドーナツ版レコードが山口百恵の「いい日旅立ち」だった。

僕は1965年生まれ。この年、ベトナム戦争でアメリカ軍が北爆を開始した。世界最強を誇る大国アメリカに対し、アジアの同胞ベトナムは一歩も退かなかった。1969年、ニューヨーク州ウッドストック・フェスティバル最終日の明け方、ジミ・ヘンドリックスがアメリカ国歌を演奏した時、僕は若干4歳だった。

よってリアルなカウンターカルチャーなんて知る由もない。日本の高度経済成長もとっくに終わり、学生運動の嵐も昔話になっていた1980年の当時、僕はようやく中学三年生で、両親に反抗するくらいがやっとの体たらくだった。


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