■ 市場(マーケット)に宝を貯えなさい(その1)
2017-05-28


今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年8月号に掲載された作品です。

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★「市場(マーケット)に宝を貯えなさい。」

これは銀行への預貯金や有価証券の売買のことを言っているのではない。あるいは円や金、石油などの売買・及び先物取引のことを言っているのでもない。これは、著作権など知的財産の保護および、財産整理についての話である。

キリスト教の教えの中に、「天に宝を貯えなさい。」(新約聖書マタイの福音書6章19-21節)という一節がある。それをもじったわけだ。このキリスト教の教えの中身は、現実世界であまり欲深くならず、困った人を助けたり施しをしたりして善行を積み、神の御国を目指しなさい、といった意味であろうか。はたまた、最後の審判を通過するためにも、天に貯えられた財産量を増やした方がいいですよ、という具合なのだろうか。僕は来世や彼岸、神の御国等々の存在についてとやかく言うほどの知識を持ち得ておらず、その存在を確信するほどのシュールな体験も経験したことがない。だからそれに関して何とも言えない。

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[瑞泉寺山門にて]

僕の住んでいる富山県は、真宗王国。仏教浄土真宗の門徒が多い。こういう話を聞いたことがある。浄土真宗の開祖、親鸞聖人が、ある日弟子から「人間は死んだらどうなるのですか?」と質問され、親鸞は「死後のことは分からない。分からない死後のことを考える暇があったら、どう生きるかを考えた方がよろしい。」と諭されたそうだ。死後のことを考えるのではなく、死を避けられないものとしっかり意識した上で、どう精一杯生きるかを考えなさいということであろうか。

確かにそうだ。自分は自分自身の死を経験できるかどうかも疑わしい。死の瞬間には意識や理性、感情が働いているかどうかも疑わしいからだ。だから人間は死ぬのではなく、限りなく死に近づいていく存在だと表現した方がよいかもしれない。人間は死に限りなく引き寄せられつつも、死に至ることにひたすら抵抗し続ける存在だ。絶対に勝ち目はないと分かっていても、戦い続ける存在だと思う。まるで自転車ロードレースにおいて、プロトン(集団)に呑みこまれることが分かっていても、ひたすら逃げを試みる孤独な選手のように。たとえ敗北したとしても、それは安易に妥協せずして敗北することだ。



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