■ 塩の道は自転車の道(その3:水は低いところに流れる)
2017-01-28


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2014年7月に『月刊ニューサイクリング』誌に投稿した原稿です。その後、廃刊となり掲載されないままとなっていた内容をこのブログに掲載します。
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★ 水は低いところに流れる

自宅から富山湾岸に辿り着く道筋として、まず僕は庄川の堤防を北に向かって走った。庄川は富山県七大河川の一つ。岐阜県ひるがの高原を水源としている。

「濫觴(らんしょう)」。
如何なる大河の水も一杯の盃に溢れるほどの水から始まる。我が家の水道水も、この庄川水系の水を利用している。庄川は冬に積もった雪解け水を集め、真夏の渇水時にも決して枯れることはない。

僕は庄川を北上したのではない。世界中、北が上だと思ったら大間違い。北に向かって庄川の水は低く低く流れている。北に位置する日本海すなわち富山湾に向かって下るわけだ。

季節は夏。梅雨はまだ明けていないが、庄川の鮎漁も解禁され、釣り人達が竿を差す。庄川の鮎は臭みが無く本当に美味しい。もちろん我が家での鮎の塩焼きは、「里山の塩」を使う。本来、海水を煮詰めた天然塩は、塩化ナトリウム濃度が通常販売されている食塩よりも低く薄味である。その分ミネラルが豊富で旨みがある。サイクリングで失った塩分とミネラルを、「里山の塩」で補えば、熱中症なんて眼中にない。

ここ10年間、我が家ではスーパーなどで塩を一切購入せず、もっぱら「里山の塩」で自足している。さらに塩は他の生産物を生み出す。例えば漬物や梅干など保存食の生産に必要不可欠である。料理好きの妻は最近「里山の塩」を使って味噌も作るようになり、麹の自家製も考えているようだ。そうすれば100パーセント自家製の塩麹の出来上がり。

「里山の塩」は販売しない。
もっぱら家族用とお世話になった人への返礼用。僕はサラリーを得る仕事の傍ら、年に数回、製塩している。自宅の庭に石を敷いて作った焚き火場で、鉄の竃(へっつい)にステンレス製の大鍋を設置し、そこで塩を煮詰めるという、極めて単純かつ小規模なやり方である。

天気の良い週末、焚き火を楽しみながら、庭木の剪定や草むしりなどガーデニングをしながら、ついでに製塩もするという規模なので、販売するほど多く作ることはできない。というか、ソルト(塩)はサラリー(金銭)の根元なのだから、金銭を介しないスタンスを保った方が、スマートな生き方なのではないかと思っている。

庄川の下流近くには伏木富山港がある。ユーラシア大陸からの木材が輸入されており、大きな製紙工場もある。下るにつれて、夏空に向かって立ち上る工場の煙突が増えてきた。高圧電線が頭上に伸びる。ウィークデイなので、傍らを大型トラックが頻繁に通過し少々怖い。

途中、田園と分譲住宅地が入り混じった風景の中に、突如として多数の太陽光発電パネルが設置された場所があった。生産活動、流通、エネルギー供給、人々の暮らし等々、それら全てが一極集約的に処理されているような光景だ。人々は、そんな一見効率的であるかのようなシステムからこぼれ落ちないよう、必死になって自分の居場所を探すのだろうか。

分散的・非効率的なことは文明の退化なのだろうか。集権的・一極集中的なのが良いのか。仮に火力発電や原子力発電が太陽光発電にとって代わられたとしても、便利さや快適さを無限に求める既存のマインドセットが変わらなければ、自然エネルギーにシフトしたって何も変わらないのではないか。

一見効率的にみえるが実は非効率的な便利生活。不健康だけど快適生活。そんな生活をあいも変わらず追求していけば、ひょっとして太陽の光エネルギーだって不足するやもしれぬ。太陽にも寿命があるらしい。でも人間の欲望は無限で底が無い。


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